西郷の身体に何が起こっていたのか
同じ薩摩藩の大久保利通や長州藩の木戸孝允らと並び「維新の三傑」の1人である「西郷隆盛」は、
事実上藩主だった島津久光との敵対などで徳之島に配流され、後にさらに遠い沖永良部島に流され
獄舎で過ごしたことがあります。
そこでは風土病であるフィラリア感染症にかかってしまい、その後遺症で象皮病という病気を患い
ましたが、この病気は皮下組織の結合組織や末梢部の皮膚が硬くなり、象の皮膚のようになってしまう
病気です。
その影響で西郷の陰嚢はとんでもない程肥大化してしまい、一説によるとカボチャ位の大きさまで
膨れ上がっていたということです。
明治維新後の西郷は征韓論の件で政府と対立しますが、参議を辞職して下野し西南戦争へと出向き
ましたが、結果負けてしまい自決しました。
西郷の斬られた首は何者かが持って行ってしまいましたが、政府軍は首のない遺体が西郷のものだと
すぐに確信できました。
それは、異常なまでに肥大した陰嚢が何よりの根拠だったからです。
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